まちつくり研究

まちつくり研究は、より実践的かつ生活的な視点からのまちつくりをめざしていく「研究広場」としての機関誌です。その内容はまちつくりに対する新たな切り口を提起し、研究所活動の集大成を図っていこうとするもので、各号特集テーマを組んでいます。

11号.狭隘道路

「まち」は、主に「いえ」「あきち」「みち」によって構成されています。この構成要素の組み立て方によって「まち」の空間的評価が語られるともいえましょう。

そのなかで「みち」、それも細街路については、多くの問題が指摘されているにもかかわらず、必ずしも有効な計画論が構築されていないのが実情といえます。また、細街路のうちでも幅員が4㍍にもみたない狭い道路の存在は、その量の多さもあいまって、制度的にも計画的にも、多くの問題が込められています。ここでは、それらの狭い道路を「狭隘道路」と呼ぶことにします。

既成市街地における「狭隘道路」は、江戸期の「路地」にその源を見出すことができます。その後、明治期には裏長屋対策として位置づけられ、対象から昭和にかけて、「市街地建築物法」によって「建築線」として規定され、昭和25年制定の「建築基準法」に引き継がれています。このように、「狭隘道路」は長い歴史をもち、いまだ本質的解決に至っていない道路と言えます。

また、「狭隘道路」は、江戸期における「表通り」と「裏路地」として踏襲してきた道路として見ることもできます。この図式は、法制度上においても、「道路法」と「建築基準法」との関係に見出すことができます。

基準法においては、「狭隘道路」は、建築物敷地との関係における最低基準として規定されています。そこには、生活空間のあり方からみた道路計画という視点が抜けているようです。しかし、都市生活者からみると「狭隘道路」は、生活に直結する身近な空間として、大きな意義を持っています。「まちつくり」という視点からの取り組みが必要です。

本特集は、「狭隘道路」に焦点をおき、その実態と問題点、課題と解決の方向についてとりまとめたものです。

「裏通りからのまちづくり」・・・・・・・・・・・・・・これが本特集、「狭隘道路」の目的です。

12号.迷惑施設

まちつくりの主要な課題のひとつとして施設つくりがあります。施設の種類は多岐にわたっており、広義には、まちを支えるものとしての空間はすべて施設と呼ぶことも可能です。

都市計画法に規定される都市施設に限定しても、交通施設、公共空地、供給処理施設、水路、教育文化施設、医療・社会福祉施設、市場、火葬場、住宅施設、官公庁施設、流通業務団体とその種類は多様です。

現代生活は、これらの施設によって支えられているともいえましょう。

これらの施設の立地、建設、利用等をめぐって各地で多くの紛争が発生しています。とくに、施設の建設主体側と施設の立地する地域住民との間での紛争事例が多く見られます。

紛争の背景には、必ず地域住民の施設に対する迷惑意識が介在しています。このような施設をここでは「迷惑施設」と称することにします。

市街化の進行や高密化、生活価値の多様化や地域社会の崩壊等々の背景のなかで、迷惑施設は質的にも量的にも拡大していく傾向にあります。それは、単に施設そのものの評価にもとづくばかりではなく、施設をとりまく地域社会の状況に起因する傾向もみられます。

従って、潜在的には、あらゆる施設が迷惑施設化する可能性をもっているといえます。

また、迷惑施設に対する是否論も、一面的に語ることは危険であるといえましょう。

その評価はともかく、現象的には、迷惑施設は地域における一定の空間秩序の混乱を伴う施設であると定義することができます。

また、迷惑施設の問題は、権利と責任、行政と住民、自治と権力等の対置する関係の間に存在するとみることもできます。

このように、迷惑施設をめぐる問題には、計画論、制度論、自治論に関する様ざまの論点が内在しています。それは、まちつくり問題の縮図ともいえましょう。

本特集は、迷惑施設をめぐる諸事例、諸問題を紹介、提起するなかから、まちつくりのあり方を考えてみたいと思います。

13号.木賃住宅

まちつくりの根幹ともいえる課題として、いえづくりがあります。そのなかでも、量的にも質的にも、最大の問題として木賃住宅(木造賃貸住宅)の存在があげられます。例えば東京都内では、木賃住宅戸数は約百万戸にのぼり、全世帯の約三分の一が、その居住世帯となっています。

木賃住宅は、ふるくは長屋に、明治期には下宿屋にその源を見ることができますが、今日、木賃アパートと称される大量の木賃住宅が登場するのは戦後になってからです。それは、戦後復興から高度経済成長期にかけて、都市への大量の人口集中の主たる受け皿として拡大をとげてきました。

このように、木賃住宅が都市住宅の代表選手になってきた背景には多くの要因をみることができます。例えば、借家人側からみると、手続きの簡便性、選択の自由性、相対的な家賃の低さ、流動前提の定住性等の要因、貸家人側から見ると、土地建物の有効利用、安全な老後保障等の要因、そしてそれらを支える供給ストックの大量性と需要の発生といった要因があげられます。また、生活意識としての、「イエ」の呪縛からの開放といった表現も可能でしょう。

しかし、木賃住宅が都市住宅の代表選手たりえた最大の要因は、公的住宅の不足をはじめとした都市の住宅政策の貧困にあるといって過言ではないでしょう。

木賃住宅の評価として、狭小性、老朽製、高密性等による劣悪な環境水準を指摘するのは容易です。しかし、大量の木賃住宅とその居住者の存在は、都市の生活、文化、環境を大きく規定しています。「木賃住宅が都市を支えている」ともいえるわけです。

最近、木賃住宅の需給構造の変化が顕在化しつつあり、ひとつの転換期にさしかかっているようです。それは、とりもなおさず都市の転換期でもあるわけです。

本特集は、これらの木賃住宅をめぐる多様な側面に着目して、そのあり方を検討するなかから、まちつくりを考えたいと思います。

14号.自主管理

まちつくりには「ものつくり」と「しくみつくり」の両側面があります。前者をハードな課題とすれば、後者はソフトな課題といえましょう。ものはつくればある程度固定的にならざるを得ない宿命をもっています。他方しくみは、ものをつくる過程の問題、あるいはものをつくった後での利用の問題など、まちつくりにおいては連続した時間の中で機能する必要があります。すぐれて人や組織にかかわる問題であり、その活動にかかわる問題ともいえましょう。本特集はその「しくみつくり」に焦点を当て、住民による地域施設や地域環境に対する自主管理の問題をとりあげてみました。自主管理は何も新しい概念ではなく、人間の集団的な生活の発生とともに始まった行為であろうと考えられます。その人間集団をマネージメントする「行政」の発生と裏腹であったものでしょう。祭事の時代でのことです。くだって国家の成立、さらには地方政府(地方自治体)の成立といった体制が整えられるにつれて自主管理の領域はしだいに狭まってきたように思われます。しかし、そのあらわれ方は多様で、それぞれ風土にねざした豊かな果実を生み出してきており、現在においてもなお多様な実践が展開されてきています。

近代における未曾有の都市革命(都市化現象)が起こってからすでに十分な時間の経過をみています。都市化社会は、その構成者の流動性の高さを基本的な特徴の一つとしておりますが、それ由に安定した地域社会が生まれにくい性格をそなえています。

日本の都市は村落の集合体だというのはよくいわれることがらですが、たしかに居住様式への志向をみる限りにおいては、その論議は正しく実態を言いえていると思われます。しかし、農・山・漁村で展開される多様でしたたかな自主管理の経験を都市村落で生かすには至っていないようです。

本特集は、都市の文化をより実りあるものにすつと思われる自主管理の事例を紹介し、その必要条件と可能性を追求することによって、自主管理の切り拓く展望をえようとしました。

15号.集住生活

まちつくりの主要なテーマの一つに住まいの問題があります。住まいの問題は、これまで各方面からの報告に指摘されているように都市から個人の生活レベルまで大変広い範囲にわたっており、それだけ都市生活の根幹をなす課題であると言えましょう。ただ、これらの指摘は住宅問題という範疇で語られる広域的な「量」の問題、あるいは建築計画の立場から語られる個々の住宅計画の問題などが中心となっていたことは否めません。しかし、マンション等高層住宅の建設に伴う日照紛争や騒音・振動をめぐる相隣紛争の多発傾向、あるいは地域コミュニティ意識の全般的低下などが指摘される現在、住まいの問題は、人びとの生活の集積としての地域を基盤として把えることが必要となっています。それは「公」と「私」の狭間を埋めるべく、「共」の視点からまちつくりを把えなおすことでもあります。

今、都市における住まいの問題は集合住宅を中心に語られています。現在の社会構造を前提にする限り、宅地の量的不足は覆いようもない事実です。その少ない宅地を有効に活用するには、住宅間の無駄なスキマをできるだけ少なくし、なおかつタテに積み重なって住むことを追求せざるを得ないからです。そのことはまた、地域単位では、少しでも有効な空地を生み出し、個々の住宅水準を向上させることで人びとの定住性や地域の安全性を高めることができると考えられているからです。

現在都市における集合住宅の建設は、一戸建住宅を上回り、なおかつこれまでの木賃住宅にかわってマンションや公的住宅などの鉄筋コンクリート造集合住宅が主流となっています。しかしこれらの集合住宅は、住戸の画一性、狭さ、地域環境との調和、地域社会との融和等の面で多くの問題をかかえています。

本特集は、これらの問題をふまえ、今後の集合住宅のあり方、あるいは集合住宅にかかわる地域住宅政策のあり方などについて地域社会や生活の視点から、その展望を切り拓こうとしたものです。

16号.地区計画

より身近な環境を対象に、住み手の生活に根づいた問題意識に立ち、住民参加を意識したまちつくりの方法として、地区計画が考えられます。計画論としてみると、地区計画は、都市全体のストラクチャーを対象とする都市計画と、個々の建築のあり方を対象とする建築計画の中間の段階に位置するものといえましょう。

地区計画は、昭和四十年代に入って、住民運動や住民参加に立脚したまちつくり運動の進展とともに、各地で提唱され実践されはじめられました。その背景には、従来のまちつくりの主流であった広域優先、経済優先、都市基盤優先といった発想から、地区優先、福祉優先、生活環境優先といった発想への転換が投影されているようです。

昭和五十六年五月、都市計画法と建築基準法の一部改正によって、地区計画制度が施行されました。いわゆる法定地区計画の登場です。法定地区計画は、それまで各地で実践された事例や西独の地区詳細計画等に代表される西欧諸国の事例を踏まえて制度化されたものといえましょう。すでに、盛岡市等で適用事例も登場してきています。法定地区計画は、その主体を市区町村に置いているところが特徴ですが、計画内容としては誘導的側面や規制的側面に着目した建築コントロールの手法としての色彩が濃いものです。

地区計画は、広い意味で地区を対象とした計画といえますが、必ずしも明確な概念規定はありません。したがって、各地での地区計画の事例も、用語自体を含めて千差万別の内容となっています。それに対して法定地区計画は、一応、一定の枠が定められており、その有効性も限定されたものといえましょう。すなわち法定地区計画は、広い意味での地区計画の一手法と規定することが可能です。

本特集は、テーマを地区計画としていますが、法定地区計画に主として焦点をおき、各地の事例を紹介するなかで、より実践的な立場から地区計画のあり方、進め方を考えたみたいと思います。

17号.生活道路

まちつくりの主要なテーマとして、いえづくり、しせつづくりと並んで、みちづくりがあります。道路は、広幅員の幹線道路から住宅地域の生活道路まで多岐にわたります。

本特集は、日常生活空間の延長にある「生活道路」に焦点をあて、各地での生活道路の使われ方等の調査研究と、「コミュニティ道路」等歩車共存道路の各事例を紹介しながら、地域や生活者の視点からその方向を探り、計画論について展望してみました。

「みち」は、昔の路地に代表されるように、移動空間であるとともに、子どもたちの遊び場であり、戸外作業場であり、そして人々のコミュニケーションの場でもありました。しかし、自動車の登場以来、「車は生活の一部」とまでいわれ、必要不可欠な交通輸送手段として社会構造のなかに組み込まれ、街のすみずみまでなんとか車を通さなくてはいけないという、車優先の考え方になってしまいました。細街路の多い住宅地域まで自由に車が入り込み、本来の歩行空間である「みち」空間が失われています。

近年、「みち」空間蘇生の試みが全国各地で行われています。大阪や東京を中心に既成市街地で実施されている「コミュニティ道路」や、民間ディベロッパーや住・都公団等のニュータウンでの試みがそれです。これらは、自動車の持つ利便性を教授しつつ、そのデメリットをいかに克服するかということで、住宅地域での車交通と歩行者空間の共存関係を探る方法です。

このような各地での「みち」空間の蘇生の試みをふまえつつ、今こそ、「生活道路」の新しい計画体系論が必要です。

それは従来の都市全体からアプローチする交通計画の論理から道路機能を規定しようとするものではなく、生活者の論理から、その空間の質、利用の仕方、管理の仕方等を規定するものでなければならないでしょう。そして、歩行者と車という互いに異質なものをもう一度全体道路ネットワークの中で再構成しそれらを有効に生かす方法とその仕組みを考え連続的な日常生活の場となる「生活道路」空間の創出が必要です。

18号.親緑空間

都市空間にやすらぎと潤いをもたらす「みどり」をいかに守り、ふやすかはまちつくりの主要なテーマです。特に「みどり」は一たび消滅すると、その再生には非常に永い歳月を必要とします。都市空間における緑の効果としては、防災や公害や防風などの保護機能―酒田の大火で寺社の境内林が延焼防止に役立ったことは広く知られています―、美しい景観をつくったり、心理的・精神的なやすらぎを与える修景機能―川面に映える柳、新緑に萌える街路樹、紅葉の銀杏並木など好きな風景をもっている人は多いはずです―、屋外でのレクリエーション機能―江戸時代から庶民のレクリエーションとして景勝地での物見遊山が盛んでした―、樹木やその果実、野菜などの生産機能―中国の唐山の地震では、街路樹が応急住宅の建築用材として使われたことが知られています―、等があげられます。

都市と自然の強調をはかることが、古くから都市計画の一つの命題でした。しかし爆発的な都市の膨張は、そうした理念を踏み潰し続けてきたともいえます。

大都市のへの人口集中に陰りがみえはじめ、定住意識の高まりの中で「みどり」を求める社会的な思潮が強まってきています。

この「親緑空間」特集は、豊かな風景を獲得するための「親緑空間つくり」の視点と、その背景を整理し、さらにそのための素材の発掘を試みたものです。

「親緑空間つくり」の視点としては、「みどり」の量的な拡大も必要とした上で、さらに質的な充実をはかるべきであるとし、そのために「シンボル性」「風土性」「事前性」の観点からのアプローチの必要性を提起しました。

「親緑空間つくり」の背景としては、東京大都市地域での緑地計画の変遷と、緑化樹木の需要構造、さらには緑の管理・四度をめぐる諸問題をレビューしました。

「親緑都市づくり」の事例としては、くらしと緑、道路の緑、団地の緑、都市の人工林、コミュニティシンボルとしての並木、緑の建築の六点を素材として提起しました。

19号.都市防災

最近、マスコミでの防災報道が目立っています。過去の災害の記録や防災対策のイロハがとくしゅうとして登場しています。「地震雲」に代表される各方面の地震予知も活発に提起され、日時の特定すらなされています。デパート等の防災用品コーナーも活気を呈してややパニック状態になりつつあります。

さる五月二十六日、秋田沖でマグニチュード7.7の地震が発生したのをはじめ、比較的頻繁に各地で地震が記録されています。ちょうど今年は、関東大震災から六十年をむかえ、「六十九年周期説」が改めて話題になっています。特に、首都圏域での大地震の発生は、近い将来、大いに予想されるところです。

まちつくりを考えるうえで、都市の安全性の確保は、最大のテーマともいえましょう。

わが国は、地震大国でもあり、自然災害への対応はきわめて重要な課題です。また、ヒトとモノとの極度に密集した大都市では、思わぬ二次災害、三次災害の発生が危惧されるところです。

今日の大都市は、都市防災という側面でみるときわめて弱体化した構造を持っています。

高密度の人口集中、老朽木造家屋の密集、オープンスペースの不足、狭小で錯綜した道路網。地下街・高速道路・高層ビル・危険物施設等の存在、地盤の軟弱な地域、0メートル地帯、道路に渋滞する自動車、埋設物・落下物や有毒ガスの危険、近隣関係の希薄な地域社会、生活が分断された家族等々、あらゆる面で災害の危険要因が指摘できるところです。

これらの危険要因は、次つぎと拡大再生産されるにもかかわらず、防災対策はなかなか進展しないのが実情といえましょう。

本特集は、以上の背景を踏まえて大震災を中心とした「都市防災」とします。防災問題は多方面で検討されているにもかかわらず、必ずしも体系的に整理されているとは言い難い分野です。また、諸説が入り乱れている分野でもあります。

本特集では、改めて、都市防災について多角的に検討して問題提起するものです。

20号.高齢社会

人口構成の高齢化、いわゆる高齢化社会の進行は、二一世紀を展望した日本の社会構造を規定する基本的な指標の一つになっています。

高齢化社会の現出は、二〇世紀における“先進国”の一般的な現象であり、それは直接的には平均寿命の伸長と出生率の低下のもたらしたものですが、その前提としては、第二次世界大戦後、とくに西欧社会においては人口現象に特異な影響を与える大きな社会変動-例えば世界大戦など-がなかったこともあげられます。一方いわゆる発展途上国においては、人口増加と資源との深刻な矛盾に悩み、とくに出生率のコントロールが大きな政策課題となっています。

そうした意味では、高齢化社会の到来は、社会発展史的見地からすれば、一面ではあるが「進歩」を示す指標とみることもできます。しかし問題は、人口構成の構造的転換に対応した社会的システムの確立が、事態の進行に合わせて進むかどうかということであり、そうしたシステムを成立させる社会経済条件が成熟しているかどうかということであります。

いうまでもなく、高齢化社会の問題性は、社会構造の変容がもたらすあれこれの現象全般にわたるものですが、狭い意味では高齢者に特有の問題に絞られます。いずれにせよ、この高齢化社会が、歴史的にみて“進歩”、“必然”の現象であるなら、政策論・計画論における合意形成の内容はより豊富化されて然るべきと思われます。

高成長から低成長への「移行」の中で、国の福祉政策は、福祉国家論から福祉社会論へとポイントが「変化」しているかに見受けられますが、二一世紀を展望した今日、福祉国家論の“再”構築が必要なのではないでしょうか。

本特集は、「高齢社会」をテーマとしていますが、“高齢者問題”を中心にとりあげています。とくに、まちつくりと接点を追求しつつ、高齢者問題の主要な側面について考えてみたいと思います。

21号.都市教育

ここ数年来、校内暴力などに代表される、教育の荒廃が社会問題化しております。それに端を発した教育改革論議も、新聞紙上をにぎわしております。

我々が子供だった頃にも勿論、校内暴力は存在しましたが、今日ほど顕在化してはいませんでした。この問題の背景には、子供、親、家族、教師、地域社会、など多様な主体が係わりあい、それぞれの事情が、複雑にからまりあって、問題を生み出していると考えられます。この問題は、都市化社会の一断面として把えることが可能なのではないでしょうか。

埼玉県宮代町に建設された、笠原小学校の設計者は三つのキーワードに基づき計画を試みています。それは、「教室はすまい」「学校はまち」「学校は思い出」です。学校は、単に、机と椅子と教室が整い教師と子供がいるだけの機能的空間ではなく、子供達を育むための様々な思いを込めた配慮が必要であることを教えてくれます。近年の都市の学校には、この配慮があまりにも不足しているのではないでしょうか。仕事に追われる両親。遠方より通勤するマイホーム型教師。塾に通う子供。解決の道はあるのでしょうか。

子供にとって、自分たちのユートピアを、学校に見出すような教育が追求されていくことは、当然ですが、近年の都市の学校問題の克服は、子ども、教師、両者の生活拠点としての地域社会を取り戻していくことも必要なのではないでしょうか。言いかえれば、それは、学校問題を、学校という狭い領域の問題として閉じこめてしまうのではなく、学校の壁をこえて、地域社会の中に溶かしこんでいくことが大切だともいえます。

本特集では、子供の目からみた地域、崩壊した家族、中学校の授業風景、学校経営、社会教育など、様々な事例を通して、都市教育を取りまく現場や状況を検証し、都市教育とまちつくりの接点を探ってみたいと考えました。深くて広い問題ですが、まちつくりの視点から、今後とも追求していく必要のあるテーマだと考えています。

22号.ワンルームマンション

今様方丈記、えたいの知れない若者、第二のマンション紛争、第一種住専地域に四階建て、巡回管理サービス、節税と投資のリースマンション、反対同盟、マルコー・杉山商事、指導要綱、建築協定等々・・・・・・・・・・・・

まちづくりに関わる最近の大きな話題として、「ワンルームマンション」をめぐる問題があります。東京都内を端緒として、急激かつ大量の建設が進み、全国に拡がっている新たな都市住宅のひとつとして「ワンルーム・マンション」があります。その建設や管理をめぐって、各地で近隣住民との衝突が発生して、マスコミを大いに賑わしています。

「ワンルーム・マンション」をめぐる問題は現代都市のまちづくり(いえづくり)についての多くの問題提起が示されているといえましょう。

供給者であるマンション業者からみると、若者のライフスタイルに対応した都市住宅で節税と投資の対象としたリース方式にもとづく、需給構造にマッチしたものとして「ワンルーム・マンション」の評価があります。

一方、近隣住民からみると、周辺環境を無視して法のアミをスレスレでくぐりぬけた管理人もいない地域社会になじみづらい迷惑施設として「ワンルーム・マンション」の評価があります。

行政側からは、劣悪な住宅水準という評価もあるでしょう。

最終的には、木賃住宅に代わりうる新しい都市住宅をどう創出するかという命題として把えることができます。

これらの動向に対応して、いくつかの自治体で指導要綱がつくられています。紛争を契機として住民が自主的に建築協定を締結した事例もあります。

本特集は、テーマを「ワンルーム・マンション」とします。「ワンルーム・マンション」に関わる諸事例、諸状況を紹介、検討するなかから、新たな都市問題を考えてみたいと思います。

23号.まちつくり絵本

「チビッコ大競争」というフランス映画がありました。こどもたちがフリチンになって、森の中で戦争ゴッコをするシーンがありました。実にのびのびと、森の中をかけまわっていました。いま話題の「瀬戸内少年野球団」のこどもたちと映像がオーバーラップしました。みんな澄みきった眼をしていました。少々不良っぽいこどもが、最もいきいきしている様でした。石川栄輝さん名著『私達の都市計画の話』に、こんな前書きがついています。

「私は三〇年もの間、都市計画のお話をしつづけて来ました。
私は世の中でこんな大切な、こんな面白い話は、ないものだと思っています。
然し結局大人はダメでした。大人の耳は木の耳、大人の心臓は木の心臓です。
そして大人は第一、美しい夢を見る方法を知りません。
夢のない人に、都市のお話をしたって、ムダな事です。
子供は夢を見ます。星の夢も花の夢も、天の夢も、百年後の日本の夢も、
それは子供の耳が、兎の耳の様に大きく柔らかく子供の心がバラの花の様に、赤くそして匂うからです。
子供にお話しする事を忘れていた私は何という手ぬかりをしていたことでしょう。
それに第一子供達こそ、明日の日本の建設者です。

子供達よ(明日の建設者よ)
あなた達の手で、本当に美しい、日本を造って下さい。(以下略)」

ぜひ皆さんに読んでほしかったので引用がながくなりました。

こどもはまちの主人公の一人です。こどもの済みきった眼で、まちを考え、こどもの論理を正面切って打ち立てていかなければならないと思います。こどもをダシに使って、大人の論理を通すことは厳に戒めなければなりません。この特集では、子供と一緒に学ぶあるいは、こどもに向けてのまちづくり本を集めて、こどもとまちづくりの関わりを考えてみました。

24号.あそび場

先日、信号機のついた横断歩道の上で、三角ベースのゴムボール野球をやっているこどもたいがいました。信号が赤になると、さっと両側の歩道にもどり、青になるとまた野球を再開するのです。何とせわしない遊びなのでしょう。

それは、いかに遊びの空間が少なくなっているかということの照明といえます。現代都市が生んだ新たな面白い遊びのひとつともいえます。いつの日か、子どもたちは信号が赤になっても遊び続けるかもしれません。

「遊ぶ」という言葉には、「楽しむ」以外にも、「ゆとりがある」「互いにつきあう」「見知らぬ世界に旅立つ」といった意味があります。そこには、人間生活におけるきわめて根元的なものが込められているように思われます。

まちに子どもたちの姿が消えつつあります。遊びもまた消えつつあります。そして遊び場も消えつつあります。「遊び場」とは何も公園や運動場に限ったものではありません。路上や原っぱや資材置場やちょっとした空き地もすぐれた遊び場です。

遊び場が失われてくることは、まちの空間にゆとりがなくなっていくことの反映です。まちでくらしのゆとりがなくなっていくことの反映でもあります。

最近、各地で「遊び」と「遊び場」をめぐっての試みが登場してきました。「遊び場」を通じて、まちの空間とくらしを考える試みといえます。画一的で管理された「遊び」と「遊び場」をより自由で創造性に富んだものにしていく試みともいえます。子どもたちの視点からまちづくりを把え返すということかもしれません。

本特集では、「遊び場」にテーマをおいて、まちづくりを考えてみたいと思います。「遊び場」をめぐる状況と事例を紹介するなかから、現代都市の空間と生活について改めて見直す機会になればと思います。

なお、本特集の編集企画については、「子どもの遊びと街研究会」の皆さんに全面的に協力していただきました。

26号.われらマンション奮闘記

まちつくりには、「ものつくり」と「しくみつくり」の二側面があり、「しくみつくり」の一例として、以前「自主管理」を取り上げて特集を組んだ事があります(まちつくり研究第14号、昭和57年6月発行)。このときは、重荷地域の自主管理に焦点をあてた特集でしたが、今回は「共同住宅」の自主管理について特集してみようと考えました。

蕨ハイデンスは、京浜東北線蕨駅から焼く1キロメートル、昭和53年に販売された戸数164戸の、典型的な郊外的な中規模マンションです。入居開始早々、バルコニーの雨漏り事故に遭遇した住民は、早急に住民集会を招集し、管理組合の結成に向けて動き始めました。そもそもの発端がこのような背景を持っていたため、業者にリードされない自主性を当初から持っていたと言えましょう。その後の活動はめざましく、管理組合として、建物補修に関する業者交渉、資産価値増のための共用施設整備(自転車置き場、プレイロット)などを現在まで継続して行っているとともに、自治会結成も行われ、ミニコミ紙の発行、ハイデンス祭り等の諸活動が続けられています。言わば、普通のマンションに普通の人が住んでいるここ蕨ハイデンスで何故こんな活発な活動が生まれ育っているのか。本特集の執筆を、居住者の方々にお願いし、その謎解きをしてもらおうと考えた次第です。

マンション居住が、都市居住様式の1つとして定着し、今後ますます増加が予想される現在、その老朽化の問題とも関連して、マンションをめぐる「管理」と「自治」の問題は、マンションそれ自体の問題であるとともに、都市全体の問題にも繋がっていると考えられます。蕨ハイデンスの物語が、そこで得られた教訓が、今後他のマンション管理や自治活動に活かされていくことを熱望する次第です。さらに、その解答の1つが、資産保全意識から生活の共有化意識への脱却であるとするならば、マンションという点から、まちという面への拡がりを、今後求めていく必要があるのではないでしょうか。

27号.駅前自転車

自転車は、一方で健康づくり・バイコロジーといった視点で語られながら、都市づくり・まちづくりの面では常にマイナーな存在だったといっても過言ではないでしょう。これまで、道路づくりにおいて、自転車優先という議論はあっても、自転車は、大筋では常に歩行者の付属物であるかのような位置しか与えられていなかったことにも、その端的な例を見る事ができます。

ところが、自転車は、近年突如として、駅前放置といった形でクローズアップされてきました。脇役から一転して、まさに悪役をしての登場といえるでしょう。各地の駅前空間の実情をみると、それも無理のない面があります。

ただ、駅前自転車の問題は、現在の都市の物的・社会的な構造そのものと、個々の都市居住者の生活のあり方、その両面の矛盾の接点に、象徴的に現れた問題でもあると言えます。それは、個々に自転車利用者のモラルのみに帰すべき問題でもなければ、都市全体の交通体系の欠陥を声高に指摘しても、簡単に解決のつく問題でもありません。今あらためて、個々の地域の実情に沿って、総合的なまちづくりの視点での着実な取り組みが求められている状況と言えるでしょう。

本特集は、以上のような背景をふまえて、駅前自転車をめぐる問題状況の整理を試み、あわせて、いくつかの自治体・住民などによって取り組まれている対策への試行例を紹介してみました。

駅前自転車に対する対策は、本格的に取り組まれるようになってまだ日も浅く、対策の決定版といったものは当然の事ながら明らかではありません。そこで本特集では、問題のポイントを広く共通認識として持つこと、各地での試行例の中から、解決の方向を探る素材を得ることを目的として、解説篇・事例篇に分けて構成してみました。駅前自転車問題を考えるひとつの足がかりとなれば幸いです。

28号.線引き

「線引き」は、ひとつのものを複数に区分することをいう。ここでは、地域の空間を、市街化区域と市街化調整区域の2つに分ける区域区分制度を指す。この区域区分の導入は、わが国の都市計画法制上画期的なことであった。大正9年に制定された都市計画法が、ようやく昭和43年に全面的に見直されたのである。そして、20年を迎えようとしている今、大きな見直しの時期にきている。たとえば、最近の内需拡大策の中には線引き制度の緩和や廃止がかならず入っているし、農地の課税強化の対象は市街化区域内農地である。これまでも、指摘されたが明らかに対策が不備のために、線引きの内(市街化区域)と外(市街化調整区域)では、地価の差が大きすぎるし、市街化調整区域内での滲み出し的な開発は依然として増加傾向にある・・・・・・・・・。

本号の企画は、このような線引き制度を取り巻く情勢を、主に自治体の立場で検討してみた。埼玉県の例を基調に、神奈川県、仙台市の事例を入れながら構成しているが、それは埼玉県が線引き制度の運用について、絶えまず悩みながら取り組んできたと思えるからである。本来なら一体として考え、取り組むべき地域の空間が、スプロールを抑え込むために人為的に区分されたのである。そこには、役所の縄張り意識が働いていたし、計画思想や手段が十分育っていないこともある。最近議論されている日本はアジアの一部分であり、欧米の計画制度の導入では人々の意識に応えられないのではないかとするものもある。いずれにしよ、フィールドは自治体の現場にある。個性をもつ地域空間をどう獲得していけるか、自治体に課せられた責務は大きい。20年を経過していく中で線引きの運用は地域によって、さまざまになされてきたようである。そうした試みは、これまでのあまり表に現れることがなかった。しかし、きちんと地域の実情として議論されるべきと思う。この小冊子が地域を豊かにする土地利用計画を考える端緒になればと思う。

29号.公営住宅

今日、わが国の住宅事情をみると、住宅戸数が世帯数を上回り、もはや量的な住宅問題ではなくなった、と言われています。しかしながら、確かに数字の上ではそう見えるのですが、こうした問題は住宅ストックの質的な状況の裏腹に考える必要があります。『ウサギ小屋』議論をだすまでもなく、その住宅の質は極めて低質なもので占められ、そして、近年の地価高騰の波は、ますます都市に人間が人間らしく住む事を難しくしてきています。こうした上位今日をみると、いったいわが国の『住宅政策』はどうなっているのか、と考えられずにはいられません。

戦後、わが国の住宅政策は、応急簡易住宅の建設に始まり、公営、公団、公庫の3本柱で進められてきました。そのなかで、『公営住宅』は、匡及び地方公共団体の直接供給による住宅で、住宅政策のなかでも最も基礎的な役割を担ってきたものだと言えます。公営住宅法第1条の目的に「国及び地方公共団体が協力して、健康で文化的な生活を営むに足りる住宅を建設し、これを住宅に困窮する低額所得者に対して低廉な家賃で賃貸することにより、国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与する」と述べられています。公営住宅に限らず、住宅は人間らしい健康で文化的な生活を営むための基礎であり、それが水準の低いのもであれば、国民生活の安定や社会福祉の増進もあり得ないと言っても過言ではないでしょう。そうした意味で。公営住宅は国が直接的にその手本を示しているものと捉えることができます。

公営住宅の施行からおおよそ40年を経った今日、住宅政策の課題はますます大きく、多様化してきています。そうしたなかで、住宅政策の競うとなる公営住宅の役割についても今1度考えてみる必要があるのではないでしょうか。

本特集では、この『公営住宅』の今日的な状況と問題点。これからの住宅政策のあり方やそのなかでの公営住宅の役割について、諸外国の実情をまじえながら、いくつかの切り口で考えてみたいと思います。

30号.「防災まちづくり衆会・すみだ」の記憶

近年、都内各地で住民が主役となったまちづくりが進められています。その中で、住民の発想ならではの先進的な試みがされていることをよく耳にします。しかし、そうしたまちづくりの情報交換は、行政関係者や専門家の間ではなされていたものの、まちづくりが現在のように各地での拡がりを見せてくると、自分のまちでの取り組みを基本としつつも、他の地区での取り組みを知り、問題を共有しつつ解決の糸口を見出していくこともたいへん重要な状況となっています。

「防災まちづくり衆会・すみだ」は、そんな問題意識から、1990年(平成2年)3月3日、曳船文化センターで開催されました。墨田区内の一寺言問地区で防災まちづくりを展開している「一寺言問を防災のまちにする会(一寺会)」が呼びかけ人となり、都内各地のまちづくり団体を中心として、行政の関係者や専門家までが一同に会する会合を企画したものです。

参加団体は合計13団体となりました。その後、13団体で実行委員会を組織し、事前に話し合い、当日の会合の内容について少しづつ固めていきました。当日は約300人程度の人々が集まり、パネル展示の後、きわめて率直な意見が交換された「テーブルディスカッション」、交流パーティなどフランクな雰囲気の中で催されました。

この記憶は、「東京の防災まちづくりについて」をメインテーマにしたテーブルディスカッションの記憶を中心に、その準備階段の様子や会合企画の趣旨などについてまとめ、さらに、当日の展示パネルなどを参考にして、参加各地区のまちづくりなどを参考にして、参加各地区のまちづくりのあらましを事後に整理してみたものです。今後、各地区でのまちづくりの参考となれば幸いです。

31号.マンションの大規模修繕

中高層マンションという住宅形式は、昭和40年前後から徐々に増えはじめ、現在では、都市の住まいとして代表的な住宅形式となっています。ちなみに、住宅統計調査によると、日本国内の共同住宅のうち、3階建て以上のものは昭和43年の約11万戸(4.7%)から、昭和63年には約70万戸(18.8%)にまで増加しています。このことは、都市における中高層共同住宅での住み方がかなりの程度根付いていることを示すものと言えます。しかし、一方で、中高層共同住宅は、廊下・階段などを共用しながら、人々が高密度で集まって住むということに起因する固有の問題も抱えています。特に、分譲マンションといわれる持家形式の共同住宅には、設備や建物メンテナンスをはじめとして、将来的な建替え問題など、資産の管理・運用にかかわる問題について、居住者自身が共同的に対応しなければならないという難しさがあることもご承知のとおりです。

分譲マンションの修繕や建替えをめぐる問題は、今後ますます顕在化してくることが予想されます。しかし、修繕や建替えを実現するための重要なポイントが居住者=権利者の合意形成にある以上、いわば日常からのコミュニティの質が、修繕や建替えの成否にかかわってくる側面が大きい事に、問題の難しさがあると言えましょう。

本特集は、分譲マンションを舞台に、居住者の日ごろからの活発な自治的活動を背景として、設備・建物にかかわる大規模修繕をなしとげた貴重な実践例をとりあげ、マンションの大規模修繕にかかわる取り組みのキィポイントを、居住者自身の筆で語ってもらおうとしたものです。ここで取り上げた「蕨ハイデンス」は埼玉県蕨市にある戸数164戸の分譲マンションで、数々の自治的活動を展開してきたところであり、その活動は、「まちつくり研究」第26号で取り上げています。前特集とあわせて、ひとつのマンションの共同的生活史としてお読みいただいても興味深いものと思います。